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奇抜な形とダイアグラム、かっこいCG、光る模型を駆使して見たことない建築を世界に向けて提示し続けるパワ

フルなビャルケの姿に惹かれました。

BIGではそこで働くすべての人間を敬愛と信頼をこめてBIGSTER(ビッグスター)と呼んでいる。過去BIGで働いていた元日本人BIGSTER達にその経験と将来のBIGSTER達へのアドバイスを語ってもらう。

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青木 健

​建築設計 / ブランディング/企画

- BIGで働くことになったきっかけとその動機は?

大学院のプログラムが2年間で半期ごとに計4つのスタジオ課題を履修するというもので、そのうち1スタジオ分の単位をインターンシップでも代替することができたので、大学院2年の後期にBIGでのインターンを実施しました。半年のインターンを経て大学院を卒業し、契約を更新し最終的には合計で2年弱BIGで働きました。

 

大学から大学院まで通して、建築の実務というよりは建築家としての思想の持ち方、建築が社会に対して何ができるのかということを自ら考え、建築的な提案に落とし込むことを学ぶ教育を受けていて、与えられる設計課題も「横浜の港湾部の未来を考える」というようにスケールが大きく、与件自体自ら設定するというものでした。その意義や、大きさに憧れはあったのですが、あまりの大きさ、漠然さ、世間の建築家が手がける仕事の大きさとのギャップに戸惑い、何をどうやって設計すればいいのか分からなくなっていた時に知ったのが、Bjarke Ingels率いるBIGでした。

 

当時はまだ実作も少ない中、奇抜な形とダイアグラム、かっこいいCG、光る模型を駆使して、見たことない建築を世界に向けて提示し続けるパワフルなBjarkeの姿に惹かれました。その時はまだBIGの本質的なところは理解できていませんでしたが、何か新しいことが起きていそうという直感と、実際に自分の目で確かめてみたいとの思いでコンタクトを取ったのがBIGで働くきっかけとなりました。

- 採用が決まってからのプロセスはどのようなものでしたか?

大学院のスタジオから夜中にCVとポートフォリオをメールで送って、1時間もしないうちに「Congratulation!いつ来れるかすぐに教えてください」という返事を現パートナーのKai-Uweから貰い採用が決まりました。後から聞いた話だと、メールが届いたのがコペンハーゲンの早朝、Kai-UweとBjarkeがパソコンの前で話をしているタイミングで、その場で採用を決めてくれたとのことでした。ラッキーだったと思います。

 

すぐに働きたいと返事をした後、BIGでの働き方やビザの取り方、物価情報、会社ができるサポートなどをまとめた冊子がPDFで送られてきました。その後デンマーク大使館でビザの申請をして、2週間ほどでコペンハーゲンに向かいました。

 

コペンハーゲンの駅について、大きなスーツケースを開けて地図を広げていたら、自転車に乗ったブロンドのお姉さんにWelcome to Copenhagen!と笑顔で声をかけられ、異国の地に来たんだと胸が高鳴り、ワクワクしたのを覚えています。

 

- 実際働き始めてのBIGのオフィスの雰囲気や印象は?

 

オフィスでは世界各地からの若い人たち(Bjarkeたちも当時30代前半)がたくさん働いていて、進行中のプロジェクトの模型やプレゼンシートを貼り付けた大きなボードが所狭しと置かれていて、クリエィティブでポジティブなエネルギーが満ちていました。

 

同じ日に働き始めたルーマニア、ベルギー、ポルトガル、ポーランド出身のインターンの人たちが同じ歳ぐらいでフレンドリーだったこともあり、オフィスにはすぐに馴染むことができました。彼らとのコミュニケーションを通して、言語や文化が違う国がひしめき合うヨーロッパの多様性を目の当たりにしました。さらにアメリカや中国からのスタッフが加わって世界中のプロジェクトを進行していて、まさにグローバルな状況でした。毎週のようにコンペ勝利の報が届いたり、新しいインターンが続々とやってきて、とても刺激的な日々でした。

 

出張が多かったBjarkeがオフィスに帰ってきて、スタッフに声をかけながら奥の部屋に進むにつれ、作業を黙々と進め比較的静かだったオフィスが明るく活気付き、いろんなことが大きく動き出す感じがとても印象的でした。皆Bjarkeの帰りを心待ちにしていたようでした。

- 現地での生活はどのような感じだったでしょうか?

 

コペンハーゲンに着いたら部屋探しをしようと思っていたのですが、目論みが甘く苦労することになりました。日本だと街のあちこちにある賃貸不動産業者はどこにもなく、街を歩いて張り紙を見つけて連絡をしたり、ルームメイト募集のオンライン掲示板のようなサービスから片言の英語で連絡してみましたが、なかなかいい返事はもらえず、途方に暮れながら最初の1ヶ月はユースホステルで過ごしました。最終的には、BIGで働いていた岡さんが辞めるタイミングで部屋を引き継がせてもらいました。若いミュージシャンの女性がオーナーで、Kongens Nytorvのすぐ近くの素敵なアパートの一室で、家賃は3600DKK(6万円ぐらい)だった気がします。その後、チームリーダーのThomasの紹介で近くの別のアパートに移りましたが、こちらは若い映画監督がオーナーの物件の一室で、値段は4500DKKぐらいでした。

 

BIGでの仕事が何より面白く刺激的だったので毎日遅くまで、時には何日も連続で仮眠とシャワーをオフィスで済まして、3Dや手描きスケッチでのアイデア出しや、模型作りに明け暮れました。家に帰っても疲れ果てて寝るだけだったので、部屋には備え付けのマットレスと小さいテーブルがあるだけで、今から考えると本当にミニマムな生活でしたが、学びと刺激に満ちた充実した日々でした。

 

オフィスのキッチンには常にフルーツとコーヒーがセットされていて、買ってきたパンと合わせて朝食を済ましていました。キッチンに大きな卓球台があり、そこで仲の良いスタッフと一緒にケータリングのランチをするのが日常でした。天気のいい日はテラスが人気で、みなサングラスをして楽しそうに談笑しながらランチをしていました。夜はチームのリーダーがピザやタイカレー、寿司などをご馳走してくれていたので、たくさん給料をもらっていた訳ではないですが、問題なく暮らすことができました。

 

仲のいい同僚と休みの日に郊外に遊び行ったり、サッカーをしたりもしましたが、ほとんどオフィスで過ごしていて、本当の意味でのデンマークの文化や生活を満喫した訳ではないので、その面では大分偏った経験だったかなとは思います。

 

- 担当したプロジェクトやチームの構成、雰囲気は?

 

最初にゼロから担当したプロジェクトは「Yes Is More」で、BIGの建築の背景やコンセプト、デザインのプロセスをBjarkeが主人公となって話を進める漫画形式のコンテンツを書籍と展覧会に落とし込むというものでした。最初はBjarkeと二人のチームで、一対一の打合せで漫画形式のアイデアを聞かされました。その後、Bjarkeのプレゼン動画やプレゼン資料をアーカイブから探して、原稿やレイアウトを作り、Bjarkeに送って直すを繰り返しました。ちょうどオバマが米大統領になった時期で、ある日Bjarkeがいい名前を思いついたと興奮気味にオフィスにやって来たのを覚えています。それが「Yes Is More」でした。最終的には5-6人で数十のプロジェクトを数ヶ月でまとめました。

 

建築の設計のプロジェクトではなかったので、同僚たちからは少し不憫に思われていたところもあった感じでしたが、自分的にはBIGの建築の背景にあるBjarkeの考えから、プレゼンで話の順序の作り方、話し方まで深く知ることができたのですごいい経験となりました。

 

その後は、上海EXPOのパビリオンや、アスタナの図書館など進行中だったプロジェクトの模型作りや図面作成にも携わりましたが、2−3ヶ月に一度新しい国際コンペチームに配属されて、要項の整理、アイデアだし、模型製作、3Dモデリング、ダイアグラム作りなどを主に行なっていました。Thomasがリーダーを務めるチームにアサインされることが多く、彼の温厚で静かな人柄もありとてもリラックスした環境で、たくさんのコンペに携わることができました。アイデア出しの段階では、紙にスケッチペンでたくさんの線を描いて形を探っていくのですが、BjarkeとThomasの手書きスケッチの線の描き方がシンプルだけど美しく独特なものだったので、とても印象的でした。複雑で長期的な工程を経て最終的に実現される建築が美しく、斬新で、驚きのあるものになるのかどうかは、最初のスケッチの明快さ・強さにかかっていて、そこにBIG建築の源泉があるのではないかと思っています。

 

BIGで働いたのは2年弱で、関わったプロジェクトの多くがコンペだったこともあり、実施設計にはほとんど携わることはできなかったのですが、0からアイデアを作って提案までもっていくプロセスに多く関わることができ、非常に有意義で学びで満ちた経験となりました。

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- どのようなことに日本で働くことと違いを感じたか?

 

日本で教育を受けた人が、日本で働くというのはごく自然な流れだと思いますが、BIGのような会社だとBIGで働きたいと思って世界の各地から集まってきているので、働いている人たちの主体性や行動力が大きく違うと思います。

 

あとは、BjarkeやThomasといった人がいるかどうかが全てで、業務としての設計は、地味で地道な作業の繰り返しですが、彼らと一緒に働くことでどのような場面でも、クリエィティブで明るくポジティブな空気が生まれていたと思います。

 

- 学んだこと、刺激になったこと、BIGのすごさなどは?

 

「Yes Is More」でオフィスのアーカイブを探る中で、BIGの建築の特徴とも言える「奇抜な形」や「ダイアグラム」が生まれた背景を知れたことが一番の学びでした。

 

Bjarkeたちは大学を卒業して間もない20代の頃から、クライアントからの依頼を待つだけではなく、地域が抱える課題を解決する建築的な提案を行政や企業に対して繰り返し続けていて(新聞社に提案を送ったり、大企業の社長の手紙を書いたり)、その時に必要なのが一目で相手に対して興味を持たせる「形(CG、模型)」であり、興味を持った相手に対して説明する機会が与えられた時に力を発揮するのが「ダイアグラム」でした。

 

特に影響を受けたプロジェクトは「super harbor(2005)」と「clover block (2005)」の2つで、対象とする課題、提案のスケールは僕が大学で悩んでいた課題よりもはるかに大きいにもかかわらず、実現するために必要な資金の捻出の仕方や、法整備が必要であれば法を議会を通すのに必要な多くの人の議論のベースとなる明確なロジックを備えていて、大学で学んだ理念を実現するための具体的な手法はこれだと思いました。

 

こうした姿勢と実践の中で彼らが培った手法と建築が「グローバル資本主義」「民主主義 」「サステイナビリティ」の文脈で活躍の場を広げ、「Yes is More」や「Hedonistic Sustainability」のコンセプトとともに世界を席巻し始めていました。いつか日本でもBIGの建築を実現できればいいなと思う一方で、BIGの手法が日本の文脈で有効なのかは懐疑的なところもあり、BIGで知った手法を自分なりの方法で展開してみたいなと思い2010年に日本に戻ることを決めました。

 

- 苦労したことは?

 

あまり苦労した記憶はないです。ただ英語がセンター試験で9割強レベルでCVにupper-middleと書いて採用が決まったので、あまりの話せなさに周りのスタッフは呆れていたかも知れません。それでもコミュニケーションを積極的にとって意見は言うようにしていたので、大きく困ったことはありませんで。しかし、やはり言語は重要で、もう少し話せるようになってから働けばさらに密度の高い経験ができたと思います。

 

- 思い出深いことなどは?

 

働き始めたのが2008年の夏で、ちょうどリーマンショックの直後でした。普段は明るくパワフルなBjarkeが奥のオフィスで一人夜遅くまで考えごとをしながら、パソコンに向かっている姿がとても印象的でした。

 

ある提出物持ち込みのコンペで、提出直前の早朝まで作業をしていて、提出することになっていた担当者が搭乗予定だった飛行機に間に合わないことがありました。中継の空港まで一本後の飛行機で行って、そこからヘリで向かえばギリギリ間に合うことが分かり、手をあげて徹夜明けのボロボロの姿で空港に向かいました。眠気と疲れで意識は朦朧としていましたが、雨の中ヘリの低空飛行で見たヨーロッパの田舎の風景はとても綺麗でした。

 

一年ぐらい経って日本に帰って、BIGで学んだことを日本で展開したいから帰ろうと思っているとThomasと伝えたら、後日キッチンでフライデーバーをやっている時に、皆の前でBjarkeからもう少し一緒に働こう、と口説かれたのはとても嬉しかったです。

 

あとは、今では世界各地の大きな設計事務所で働いたり独立したりしている優秀な若い建築家たちと一緒に働けたことはいい経験で、今でも連絡を取り合ったり、日本に旅行に来た時にはご飯に行ったりしています。

 

- BIGで今後働きたいと思っている人へアドバイスは?

今ではその活躍の場を宇宙にまで広げているBIGで、Bjarkeを中心とした明るくクリエィティブな人たちと一緒に働くことは、自分の人生を変える大きな経験になるはずです。興味がある人は、迷うことなく行動してみるのが一番だと思います。運も必要ですが、今がチャンスであることは間違いないと思います。

 

BIGが日本でプロジェクトを展開するとどうなるのか、すごく楽しみです。

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青木 健

1984年、滋賀県生まれ。横浜国立大学・同大学院Y-GSAで建築都市デザインを学び、Bjarke Ingels Group (BIG | Copenhagen) に勤務。2010年に帰国後、国内外の建築都市デザインコンペへの参加(受賞多数)、行政への自主提案、ITベンチャー起業(リアルタイム地図SNSの開発)などを通して、建築デザインをベースとしつつ実験的なアプローチでの社会との関わりを試みている。

 

現在は、建築設計業務(店舗、オフィスのインテリアデザイン、スタジアムや国際展示場などのコンペ案作成など)とブランディング業務(国内外の新規ホテルや商業施設などの新規ブランドの立ち上げをグラフィック面からサポートする仕事)に携わりながら、日本の田舎を拠点とした事業(LANDMADE PROJECT)の立ち上げを構想中。

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